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HARIKYU’S PHOTO & ANIME CLUB

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公団赤羽台と都営桐ヶ丘団地

昭和色のトーキョー(2)

「昭和色のトーキョー」 2回目も都内の公営団地をご紹介します。
飽きずにお付き合い下さいませ。

・ 公団赤羽台団地 ・ 





① 赤羽駅の西口から北方へ少し歩くと、左手の高台の上に古い公団住宅が見えてくる。
これが「公団赤羽台団地」だ。
東京オリンピックの頃の開発だというが、建物はかなり年期が入っている。



② 東京の北の端 「赤羽」というと、山の手の「ひばりヶ丘」などに比べてあまり高級なイメージはない。
「ひばりヶ丘」をアッコちゃんだとすれば「赤羽」はさしずめ庶民的な※モコちゃんのイメージかな。
(※写真左。アッコちゃんの同級生で同じひばりヶ丘小学校の5年生。庶民的で義理人情に厚い。)



③ かなり古い公団赤羽台団地の案内図。
全部で20棟ほどの建物がある。



④ この1号棟(写真奥)と2号棟(写真手前)がいちばん古いタイプの建物。
意匠はまさに昭和30年代~昭和40年代のもの。



⑤ 同じく古いタイプの20号棟。
ここでも古い建物の取り壊しや建て替えが進んでいて、古いタイプが見られるのはこの3棟だけ。



⑥ 団地内にある、「赤羽台東小学校」はすでに廃校になっていた。
高齢者ばかりで子供のいない団地の小学校では廃校になるのは必然だろう。



⑦ 団地内の公園にあった「希望」という彫像。
男児の局所が汚されていた。
若き日に「希望」を抱いて団地に入居してきた人々がもうみな高齢者なのは皮肉なものである。


・ ペンフレンドと謎の「N」・都営桐ヶ丘団地  ・


赤羽台団地の西に隣接するのが「都営桐ヶ丘団地」
実はここは私が小学生の頃、生まれてはじめての「ペンフレンド」(♀)が住んでいた街なのだ。
当時の手紙などはもちろん残っていない(結婚を機に、カミさんに見つかるとヤバイのですべて処分してしまった。)から、もちろん地番なんて覚えていないが、北区「桐ヶ丘」という住所と、何故か住所地番の中に「ローマ字の記号」があるということだけは明確に覚えていた。

私が小~中学生の頃は「文通」が全国的に流行った時代で、会ったことも話したこともない異郷の異性の手紙に胸をときめかせたものである。
当時は手紙のやりとりと同時に写真の交換なども行っていた。

(※写真・・・当時文通していた子たちの写真だけは残っている。思えば名前も忘れてしまったが、捨てるには忍びないのでとってある。)

ただ、この桐ヶ丘の文通相手は写真を送ってこなかったし、私も送ったことはなかった。(自分の似顔絵を書いてきたことはあったが。)
ただ、相手が「東京の女の子」ということもあり、田舎の子とは違うカワイコちゃんなのではないか?などと変に美化していたことだけは確かである。
それともうひとつ、私の友人がこの子の友達と文通しており(グループ文通などといった)、その子が送ってきた写真を見せてもらったが、女子が3人ほどのグループで写っているその写真はまさに垢抜けた「東京の女の子達」であり、その中にこの桐ヶ丘の子が写っているのはほぼ間違いなかった。

結局、このペンフレンドとは1年間くらい手紙のやりとりをしたが、私の方からやめてしまった。
この子は返事を返してくるのが遅く、(2カ月に1度くらいのこともあった)その後にはじめた新しいペンフレンドの方がすぐに返事をくれるので、私が浮気をしたからだ。
手紙がこないのを心配したのだろうか、「また暇なときに手紙ちょうだいね。」が最後の便りだった。
今にしてみれば申し訳ないことをしたと思っている。
そして、その頃の「東京のペンフレンド」に対する憧れと謝罪の気持ちが私を桐ヶ丘に向かわせたのだった。



① で、これが桐ヶ丘団地の建物。
棟番号の前にあるのはEast(東)の略号。
ここにきてはじめて知ったのだが、この団地は中央の公園を境に西側がW(West)、東側がE(East)棟に分かれているのだ。
すると文通相手の住所の中にあったローマ字記号はWかEだったのか?



② 建物自体は赤羽台団地のものより少し新しい感じがするが、ここも東京オリンピックの頃に建設されたのだという。



③ 団地の中程にあった「桐ヶ丘郷小学校」。
ここが彼女が通っていた学校なのかな?
それにしても「郷」という漢字はあまり記憶にないのだが。



④ 桐ヶ丘団地の中心にある古い商店街「桐ヶ丘中央商店街」。
ここの揚げ物店の老主人から意外な話を聞いた。
「この団地にはWとE以外にN(North)という地区がある」と。
そうだ!「N」だ! 住所の中にあったローマ字記号は「N」に間違いない。
網目の便せんにこの「N」という文字はまことに書きにくかった・・・という明確な記憶がある。
よし、「N」地区に行ってみよう・・・!





⑤ N地区が近づくにつれ「桐ヶ丘北小学校」という学校があった。
うん、この「北」という文字も記憶にあるぞ。ここが彼女が通っていた小学校に間違いない・・・!
・・・しかしこの学校は5年前に廃校になっていた。何ということ・・・。



⑥ 写真の通り、昭和40年代の鉄筋作り、典型的な東京の小学校だ。
田舎の古い木造校舎で学んでいたharikyu少年にはどんなにかあこがれたことだろう。







⑦ いろいろあって、やっと辿り着いたN棟群の一角
話に聞くと1200程の戸数があるという。
私の文通相手はこの団地のどこかに住んでいたんだなぁ・・・、と感慨しきり。
しかし・・・



とたんに目が覚め、「東京の女の子」にあこがれた「NegativeBoy」harikyu少年の夢もこれにて終了。
50代の現実の自分の姿に引き戻された。
間違っても「会ってみよう。」などとは夢にも思わないようにと自分に言い聞かせた。
皺ができて歯も抜け、白髪も出てきたお互いの姿に失望落胆するだろうから。
わが少年の日の「桐ヶ丘」よ永遠に・・・。

当日、ご同行下さった地下鉄東西線氏とハーフ番長鈴木さんにこの場をお借りして厚く御礼申し上げます。

◎「昭和色のトーキョー」第3回は少し東京から離れますが、「金曜日の妻たちへ・・・不倫のメッカ・たまプラーザ」と「二子玉川」を特集してみようと思っています。
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  1. 2009/02/06(金) 22:23:36|
  2. 昭和色のトーキョー
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