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HARIKYU’S PHOTO & ANIME CLUB

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公団ひばりヶ丘団地

昭和色のトーキョー(1)

・ 公団ひばりヶ丘団地 ・

★ 「昭和色のトーキョー」という題材で新しいシリーズをはじめてみました。
これは単に「昭和レトロの物件を撮る」というのではなく、「昭和物件の中に自分史的昭和ロマンを探す」という、言うなれば「心の旅」なのです。
第1回目は「公団ひばりヶ丘団地」をご紹介します。


☆ 「公団ひばりヶ丘団地」とは、Wikipediaによると、「1959年(昭和34年)に完成した、マンモス団地のはしりとなる大型公団住宅群。当時、総面積10万坪に総数2714戸が建設されている。各戸の間取りは、現在の公団仕様と言われるものであり、広い台所などは当時としてはモダンなものであった。」とあります。





★ 昭和34年というと、私はまだ2歳なのですけれども、少なくとも昭和39年の「東京オリンピック」の頃までの日本人の平均的な生活様式といえば、「木造家屋」に「マキ風呂」、「炭コタツ」に「裸電球」、「井戸水」に「汲み取り便所」だったのに対し、「鉄筋建築」、「上下水道完備」、「水洗トイレ」、「ガス風呂」に「蛍光灯」という生活はなんてモダンな空間だったんでしょう。

ところで写真②枚目の「ひみつのアッコちゃん」は「ひばりヶ丘小学校」の5年生という設定。
絵からもわかるとおり、白のブラウスに赤のミニスカート、白のハイソックスにヘアバンドをした、当時としてはとても垢抜けた「東京の女の子」というイメージがあります。
埼玉の片田舎に住むharikyu少年のまわりはみんな「お山のお猿」のような女の子ばっかりだったのに対し(失礼)、このアッコちゃんは「西武線の女の子」でもあり、「東京の女の子」の象徴でもあったのです。
西武線沿線の「ひばりヶ丘」や「石神井公園」にはみんなこんな女の子が住んでると思ってました。
バカでしたねぇ、でも憧れましたねぇ。(笑)

 ほかに小島功の「あひるヶ丘77」という漫画のモデルにもなっています。
たしか団地住まいの新婚夫婦のお話でした。
大人にとっても「ひばりヶ丘」はあこがれの地だったのです。





★ 広大な敷地の中に開発当時の建物が残っていました。
この4階建ての棟は昭和40年に入ってからの建設ではないかと思われます。
どの棟も1~2世帯しか居住しておらず、あとは全部空き部屋です。
当然新規入居者の募集などはしていないのでしょう。
私はこうした公団とか公営住宅のような鉄筋建築に住んだことはないので、子供の頃にはひどくあこがれたものです。

★ しかし、エレベータのないこうした住宅は、歳を取って腰や膝でも悪くすると、階段の上り下りもままならなくなり、上層階の老人は生活にひどく支障をきたしていると聞きます。
「災い転じて福と為す」ならぬ「福が転じて災いをもたらす」事態になっているのは皮肉なことですね。











★ こちらが1959年(昭和34年)第1期完成時そのままの棟だと思われます。
木製のドアーやスチールサッシ窓がよい風情を出しています。
当時、ガタガタいわない、すきま風の入ってこないサッシ窓というのは画期的なことでした。
こちらも1棟に1世帯住んでいるか住んでいないかの状態。
立ち退きが終了すればすぐにでも取り壊しが始まりそうな雰囲気です。

☆ ここ「ひばりヶ丘団地」は行政区分が西東京市(旧保谷市)と東久留米市の2市にまたがっています。
古い建物群があるのは東久留米市管轄の区域。
境界標柱が建設当時のままの「久留米町」となっていました。

ところで、都内には「昭和たてもの博物館」なるものがいくつか存在すると思いますが、残っているのは「田園調布の家」とか、どこぞの「有名建築家の家」など、庶民の生活には縁遠いものばかりで、こうした公団住宅の部屋とか文化住宅が保存されているところはありません。
ある時代の人々の生活を記録するのが歴史学の役目である筈と思うのですが、何か基本的な企画が間違っているのではないでしょうかね。



★ 中には不心得者もいるようで、侵入者への注意喚起の貼り紙がしてありました。
これをご覧になって「私も行ってみよう。」と思う方でも、決して室内への無断潜入はしないようにお願いします。





★ ここに紹介した古いタイプの建物はどんどん壊され、団地自体の若返りがはかられています。
この昭和色のひばりヶ丘が見られるのも、そう長くはないのかもしれません。



★ 日曜日の昼下がりだというのに、団地内の広場には誰一人いませんでした。
ときおり自転車に乗った老人が通りがかるのみです。
ここも昔は子供達の歓声がこだまし、奥様達がお喋りに花を咲かせていたことでしょう。
 
こうした公団住宅は良質な住居を安く安心に提供することを目的としたため、いきおい、間取りは狭く部屋数も少なくなります。
子供達が大きくなってからのことを全然考えていなかったため、現在のような「都会の限界集落」ができる原因になってしまいました。

私も人の写っていない写真を載せるのは非常に不本意なのですが、人がいない以上、仕方のない事ですね。

◎ 結局、アッコちゃんと東京の女の子の面影を見つけることはできませんでした。
 「昭和色のトーキョー」第2回目は公団「赤羽台団地」「桐ヶ丘団地」を訪れます。
「桐ヶ丘団地」では「小学校時代の文通相手の居住地のあたりを探検してみる」という、まことにバカバカしい試みもしてきましたのでお楽しみに。(^_^)


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  1. 2009/01/21(水) 16:06:30|
  2. 昭和色のトーキョー
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